薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

恵方巻きか、太巻きか。

 

 かつては、夕暮れ時ともなると、隣近所から「鬼は外、福は内」と、子供たちの張り切った声が聞こえてきた。

 しかし、少子高齢化は切実に身近な現象で、住むあたりでは二十歳以下ゼロ歳までの住人は片手で足りるほどだ。それに反して、高齢者は増えるばかりで、昨年から敬老の日のお祝いの会には、75歳以上でなければ参加資格がなくなった。そういうわけで、今夜も静かに更けた。

 この手の行事には、おきまりの行事食というのがあるのだが、我が家では平凡に鰯とけんちん汁、一汁一菜である。鰯は、銚子辺りの丸干し。けんちん汁は何時食べても美味い根菜のスープ。ともに健康食である、ケチの付けようがない献立になっている。あとは年の数だけ煎った大豆を食べて、縁起担ぎが完了する。今夜も、左様に経過したのであったが、自分は豆は三粒で済ます。

 ただし、この頃は恵方巻なるものが、関東平野の中央辺りにも、大々的に進出している。もともとが大坂発祥の習慣らしく、自分としてどうでもよいものだった。第一に恵方巻きとは名ばかりで、ただの太巻きである。太巻きなら一年中食べている。少なくとも、自分が住む辺りの事でいえば、恵方巻なるものは商業的に画策されてでっちあげられたものだ、平賀源内の発案とかいわれる土用の鰻のようなものだ。だから、個人的には、恵方巻は節分の行事食とは言えないのだ。

 とはいえ、配偶者はやはり「恵方巻」とか呼ばれている太巻きを買ってきてしまうので、この数年自分は、いつもの太巻きとみなして食べている、先ほども。それに、鰻はやはり土用の鰻がよろしい。

 

 

     

                (セツブンソウ)

 

 

      

   

   「鬼は外、福は内」勝手口では声高く  泡六

      

   豆撒けば我が身の内に鬼嗤ふ