薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

生まれかわるなら、何になりたい。

 「ブラッシュアップライフ」(主演安藤サクラ・脚本バカリズム)というテレビドラマを観ている。その題名の意味することは、「人生を磨きあげよ」とか云うのだろうか。このドラマの肝は、転生輪廻の原則は案外融通が利くものだという話だ。

 

 主人公・麻美は、先週の放映では、確か4回目の人生をやり直していた。既に3回死んで、現在は4回目の人生を生きている。このドラマを観ていない人には、わけがわからないだろうが、昔から人は死ぬと三途の川を渡って閻魔さんの審判を受け、極楽行か地獄へかと振り分けられると云われている。このドラマでは、死ぬと来世への受付窓口があって、そこで事務的に、次に何に生まれかわるかを宣告される。最後の審判的なことは全くない。まるで生前の「徳」と「罪」がポイント化されていて、来世の姿が自動的に決定されているかのようだ。麻美の場合は、一度目は「鯖」と通告された。これが閻魔さんなら、ここで有無を言わさず、鬼の獄吏に引っ立てられるところだが、受付の男は「鯖」を受け入れ難ければ、もう一度麻美として生きなおすことだ出来る、そうして、徳を積み生き直せば、次に死んだ時は、人間に生まれ変われるかも知れない、と。   そこで、麻美はもう一度の人生を選ぶのだった。それが、今や4度目の「徳」を積むための生き直しであるというのだ。「徳」を積む、つまり人生を磨け!である。そして、前回の生きた記憶がそのまま保存されているので、新しい自分は前回の人生の修正も可能という設定になっているので、磨きやすいというのだ。要領が悪く長い説明で恐縮。

 

 つまり、仏教的な因果応報による転生輪廻の原則は守られるのだが、生まれ変わる先が不満であれば、もう一度誕生から直すせるというのだから、それを繰りかえす回数制限があるのやらないのやらわからないが、満足でできるまでいくらでも生き直せることになる。その際、前の人生の記憶は保存されていていくらでも参照できるのである、まあテレビドラマであるから、何でもありの設定である。

 荒唐無稽といえばそれまでだが、現世から来世への転生に、本人の許諾の余地があるということは、かつてないアイデアで、面白い。

 

  そこで、自分は人として死ぬ身である、では、来世も人でありたいか?と、つい自問してしまった。

 答えは大分個人差がありそうだ。ガキの時分、フランキー堺主演の「私は貝になりたい」というテレビドラマがあった。1958年放映である。名作であった故に何度も再放送された。それとも、リメイク版であったか。このモノクロの作品を観た記憶がある。

 国家が起こしためちゃくちゃな戦争に動員された床屋さんの主人公・豊松は、戦後BC級戦犯として告発されて、裁判にかけられ死刑となる。それならば「戦犯」といわれる人が隣近所のおじさんのである場合もありうるのだし、第一俺の父ちゃんは大丈夫かと、子供心に戦争の理不尽さということを薄々知った。たぶん自分の厭戦感情の原点であるような。

 

 豊松は、処刑の日を待ちながら「もう人間には二度と生まれてきたくない。こんな酷い目に遭わされるのなら牛や馬の方が良い。いや、牛や馬になってもきっとまた人間に酷い目に遭わされる。いっそのこと深い深い海の底の貝に…。そうだ、貝が良い。どうしても生まれ変わらなければいけないのなら、深い海の底で戦争も兵隊も無い、家族を心配することもない、私は貝になりたい」(ウィキより)と遺書を残す。

 

 世の中には、いろいろある。麻美は基本的に突然死をしたとしても、「鯖」に転生するより「人」になりたかった。そう思えるのは、それまでの人生が肯定的に感じられていたからだ。「鯖」がダメであって、陽気そうな「フラミンゴ」であればいいというようなことでなく、「人」である事に満ち足りていたからだ。麻美は自分の人生を愛していた。麻美は「貝」になんぞになりたくはないのだ。

 

 そして、更に思うのだが、徳を積まないと「人」になれないとしたら、もう自分はとっくにアウトだ。では、どうする、・・・?黙って、「蝉」にでも生まれ変わろうか、蝉であれば幼虫7年成虫7日、それでは徳が積めないというなら、地中での幼虫時代は長いが、成虫になってからは、すばらしく短命だから「悪」を為す可能性は少なく出来る、罪作りは最小限ですむ、これはいいではないか。勿論、今から一念発起して、転生輪廻の循環から脱出して、もっと別な何かになろうと、精進するというのもあるが、無理だろう。そして麻美のように、また一から「自分」を生き直すことはどうか?うーん、難しい。面倒くさい。と云うより御免被る。

 

 ああ、調子に乗って、グダグダと書きすぎた、恥ずかしい。

 

 

    瘦せ蛙お前はもしや我が父か   泡六