薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

四国へ行ってみた。

数年前に、自分が古希を迎えるのでというわけでもなったが、美濃と飛騨の円空仏を観に出かけた。

今度は、連れ合いの片割れである古女房のそれで四国に行ってみたのだった。この年になると、急な状況の変化に対しての即応力が衰えて来るので、何事によらず冒険ができなくなる。四国をレンタカーで一回りするのが「冒険」などと云えば、若者は嗤うであろう、だがね、そうなってゆくのだよ、若者たちよ。

連休が明けた翌日に、羽田から松山へ。

われら夫婦のドライブは、ほとんどを妻が運転をし、自分はカーナビと道路標識を頼りにナビゲーターとなる、妻は大体においてカーナビを信じていない。彼女は誰にでもキビシーので、カーナビもしばしば𠮟りつけられる。勿論、自分がカーナビの情報を正確に伝えなかった場合は、自分も妻に叱責されるのである、時には感情的にさえなる。まあ、短気なドライバーであるが、運転歴は自分より長いので、ドライブテクニックは夫より上だと自負している、一概にそう思うのを否定はできない。だから、自分が運転を変わるのは、彼女が眠くなって運転に不安を感じてきた場合のみである。どちらにしろ、自分は楽ちんである。とにかく、「やってる感」を常に感じていたい古女房は、便利でもあるのだ。

そうして、松山城を皮切りに、伊予、土佐、阿波、讃岐の順に周り、高松から羽田に帰ってきたのだった。4泊5日、このくらいが現在の我ら夫婦の老人力の及ぶところであろう。

旅の計画、宿の手配などの一切は、自分の役割で、妻のご要望を最大限に実現するための企画作りが最大の自分のミッションとなる。これまで、ずっとそうだった。今回も同様である。自分は、独りで勝手に旅に出ることをなんとも思ないが、妻は一人旅をしたことなど一度もない。日常の細々としたことがらについては圧倒的に女房主導であるが、旅行計画はからっきしなのだ。

そんなわけで、杜甫が「古来稀なり」と云ったとかいう齢七十の共白髪が、旅に出たのであったというわけであった。

旅の途中、房総での地震の報、一瞬肝を冷やした。あの東日本大震災の発生を自分は二月堂お水取り見物の旅の途上で聞いたのだった。それ以来、旅に地震というのは、恐ろしいのである。

 

 

 

水鳥の四万十碧に染まるかな  泡六

 

沈下橋同行二人の遍路傘

 

なにやらに招かれて風沈下橋

 

鶺鴒の先行く橋を渡りけり

 

沈下橋渡りてつづく草の道