薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

腰痛の春の昼下がりに

 

 腰痛は、不意にやってくる。

 昨晩、夕食後いつものようにごろりと横なって、テレビを観ているうちに、尿意を感じて、トイレに行こうかと、上半身をもちあげかけた瞬間、腰から背に違和感があって、あれっと思った時、あの腰痛に特有な痛みを感じた。

 この種の腰痛を「ぎっくり腰」と呼んでいるが、「ぎっくり」という語感はふさわしくない。このごろの痛みは緩やかに広がる。確かに、初めての腰痛に見舞われた時は、一瞬でノックアウトされた、はいつくばった。しかし、あれから30年余り、何度となく見舞われてきた。そうして、その間に徐々に痛み具合いに変化があった。いうなれば、「痛み」も老いてゆく、そんな感じだ。今や、痛烈なパンチ力はなくて、じんわりとそれも執拗な粘りのある痛みに変わってきた。それに、痛いのは腰部というより腰の上の背筋の部分である。

 そうであるから、刺激せぬようこわごわと風呂に浸かって、すぐさま蒲団に入った。これまでの経験から安静にすること、これが何より早期の恢復に求めれることだと知っている。

 幸い今夜の腰痛は、まだ身体運動を瓦解させるレベルには遠い。うまくすれば、明朝立ち上げれないほどにならないだろうと思われた。

 その見込みはおおむね正しく、今現在寝たきりは避けられ、椅子に座ってこうしてキーボードも叩けている。もうしばらくの安静こそ重要なのだ。

 

 今日もうららかに晴れあがってきた。

 静かだ。

 昼下がり。

 

 

 

 

腰痛の一歩の先にシクラメン 泡六