薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

肉屋の総菜、揚げ物が好きだ。

 

 最寄りの駅近くにある肉屋 の総菜のコロッケやアジフライが好きだ。

 

 それをきちんと暖簾が下がっているとんかつ屋のものに比べるのは、愚だ。

 初めから依って立つ場がちがう、同等に比較するのは、むしろとんかつ屋存立の危惧を小生なんぞは感じる。総菜とんかつのおいしさがそこそこ満足いくものならば、こう賃金の停滞に苦しめられつづけている我らとしては、どうしたって、相対的にとんかつ屋の敷居が高くなるのは、当然の成り行きであるからだ。

 小生の食べ物に対する思いは、日常の三度の飯が普通においしく飽きが来ない、これが最高にいいものである。

 とんかつ専門店を上とし、総菜とんかつを下と見たいグルメさんは、とんかつ屋は、とんかつ屋同士で比較成されるがよろしかろう。

 

 行きつけの肉屋は、店先で注文するとその場で揚げてくれる。老夫婦二人で食べるのだから、多くはいらない。とんかつはロースで、一枚あればいい。それにコロッケ、イカフライ、アジフライ、メンチカツ、ハムかつなんぞを組み合わせて注文する。接客はついこの間まで店主の母上らしき人がしていて、奥の店主に伝えていたが、最近は嫁らしき人が取って代わって、言ってはなんだが、手際がスムースになった。

 店の込み具合にもよるが、15分ほどで熱々のやつが客に手わたれる、これの一番外側の包装紙が新聞紙なのだ。この新聞紙、保温もよろしい、家についても冷えていない、それに品物からにじみ出た揚げ油をきちんと吸収してくれる、同時に水分も吸い取るので、べとべとにならない。少しインクの匂いも漂うのだが、包装を解けば、うまそうな匂いだけだ。

 

 さて、さて、今夜は、寄せ鍋であるが、寒波が行ってしまったら、黄昏時のあの店先に並ぼうかと、思うのである。

 

 この肉屋の総菜揚げ物は、子供頃からの好物であった。昔風に言えば、供稼ぎ家庭であったから、母はしばしば肉屋の揚げ物で夕飯のおかずとした。腹を空かして待つ子どもたちを思いながら、仕事帰り、大急ぎで肉屋の店先に並んで買ってきた、つまりは、自分にとっては、これも懐かしい「母の味」でもあるのだ。

 

 

     

                              Kagohara.net より拝借 

   

   

   コロッケが冷めないうちに冬北斗  泡六