薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

なぜに、いまごろ。

 「硯石取る」という季語あると、『季語辞典』で見つけた。

 

「春の干潮を利用して海底から硯石を採取することういう。毛吹草の四季詞の三月三日のところに、『土佐海、塩干に硯石を取る。同』と出ている。」(大後美保編・東京堂出版)とある。

 

 故事類苑のデータベースで「毛吹草」を検索すると、

 

 西寺御硯石 三月三日鹽干二海底ヨリ取ル也。時刻二西寺ノ僧経ヲ讀誦スル也。      

                           地部二十九 土佐國

 

 とあり、少し調べてみると、その西寺とは現在の四国二十六番札所の金剛頂寺で、この付近から硯の原石が採取されていたとあるから、三月三日のなにかしらの行事であったのかも知れない。ネットをくぐっての情報であるから、これ以上はわからない。

 ともあれ、確かに春の季題であった。

 

 なぜ、硯のことなどと動機は、次のへぼな句で。

 

     硯あり未使用のまま余寒哉  泡六

 

 つまり、なんだかわからなのだが、いつ買ったかも記憶にない未使用の硯が書棚の間からひょっこりと出てきた、昨日のことである。自分が筆で文字を書くことに興味を持ったのは、二〇代のこと、まさかそんなに古いはずもないのだが。