「事始め」の日であったこと。
今日は、「事始め」と日めくりカレンダーにあった。
「事始め」とは、文字通り事の始めと思って、さて今日は畑に出て、ちょっと気が早いがじゃがいもを植える準備でも始めようかと思いついたのであるが、実はこれは早とちりであった。
2月8日は「事始め」では、始めがあれば「事納め」もあろうと思って、手元のiPadで検索すると、12月8日がそれにあたると分かった。のみならずこの両日を合わせて「事八日」という行事があるのだと知った。地方によっては、「事始め」が12月8日で、「事納め」が2月8日と逆転したり、二日はせずに2月8日のみということもあるらしい。
「事八日」というのは、民俗学の用語で、その日は、「物忌み」の日であって外出は控えて、家に籠るのだという。当然、農作業などは禁忌である。なぜ家にいるべきかというと、この日は疫病神や魔物が家々にやってきて害をなすといわれて、それらを避けるために物忌みするのだという。そのためそれらの妖怪を退散させるために、門口に目籠を掲げてヒイラギの枝や鰯の頭を取り付けたり、あるいは餅や団子を枝にさして置いたりしたそうだ。その妖怪が一つ目小僧であったり、箕の借り婆であったりするのだそうな。
それでは、なぜにそんな今日を「事始め」などというのだろか。そのことは、俄か勉強ではわからない、・・・・、が、俄か知識であっても、よいことを知った。そうか今日は「物忌み」の一日、ならばいつも通りに家居しておるのがよろしかろうと、いつものなまけ心を十分に合理化できる根拠を得たのであった。
ゆえに、ぼんやりすごして、今は夕刻、しばらく前から時雨てきて、気温が下がってきたようだ。
今日は昼寝もせずいたのだが、一つ目小僧も箕の借り婆も訪ねては来なかったのである。ちなみに、自分が住む地域では、12月8日は神社にお酉さまの市が立つ日である。それ以外の意味は現在時点ではなさそうだ。
さて、まんさくが、見ごろである。
まんさくや縺れ捻じれどみんな嘘 泡六