薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

長瀞岩畳・一家総出の花火大会

8月11日 未明雨、後終日晴れ。最高気温35.0度。

 

〇娘夫婦とその子二人、つまり孫のリクエストで、長瀞辺まで遊びに行く。この暑い最中、爺にとっては迷惑千万なものであったが、バーバはこの上ない楽しみ、お供せざるをえない。

 ブドウ狩りを希望であったが、時期が早く今月中旬以降の営業とかで、断念。それではブルーベリー狩りならと吉田のフルーツ街道を目指すが、なんと今年の異常高温によって、収穫時期が早まってとっくに終わっていた。

 仕方なく昼食、娘夫婦はわらじカツ爺婆は、蕎麦うどんの類で済ませた。

 帰り道、長瀞の岩畳に。この糞暑さだから、イヤだイヤだと内心は不平が泡立つが、到着。これが大変な人であった。岩畳への細道の両脇の土産屋や食堂や、ごった返している。照り返しだけで気が遠くなる岩畳の岸辺にも人人人。荒川にラフティングボートが次々とやってきて大歓声をあげている。そこに昔ながらの川下り船、川の上も過密。

 変われば変わるもんだ、自分の記憶にある長瀞岩畳はのどか極まりない観光地であった。土産物屋も食堂も花見の時期以外に賑わうことなどあったのだろうか。第一、岩畳の河原なんて、風光明媚な景勝地と云われていたが、凡庸な自分の目には退屈な風景であった。

 眼前の賑わいに驚きながらも、時は移ろうものだから、あの寂しかった荒川河畔の風景に戻る日もあるかも知れないとも思うのであった。

 

 カラフルに夏の人々岩畳  泡六

 

 

 〇大正5年9月8日、盛岡高等農林学校秩父地質巡検一行に加わって2年宮澤賢治が、この岩畳を歩いた。

 

 

 

 

 

8月12日 晴れ一時曇り。最高気温36.0度。

 

〇地元の花火大会、息子一家もやってきて、娘一家を合わせて、一族勢ぞろいで荒川河原まで見物に行く。

 運よく良い場所がとれたものの、開始時刻までが辛かった。

 

地べたにて腹満たし待つ花火かな

 

 もともとは、自分は花火大会といってもで、さほどにココロオドルわけではなかった。生涯を通じて浴衣姿の女性と見物に行くといった青春アニメの定番シチュエーションなんてあろうはずがない。ただ、暑くて虫に食われるのも不快であるし、人混みに揉まれるのもまっぴらだと、なによりに第一に花火なんて酷く俗なものだと、そんな風に思ったのだった。

 そんな自分ではあるが、自宅に寝転んでテレビでも見ていると、遠くからドイーンと打ちあげの音が聞こえてくる、そうなるとなぜかそこはかとなく淋しさがやってくる。

 しょうもないことだ。

 やがて、自分も子の親になると、嗜好までもがどうしたって世間様並になる、イヤ近づけて行くことになる。いろいろなことがただの喰わず嫌いに過ぎない、皆さんが楽しんでいるのに俺一人白けていては、子供達のためにもよろしくないような気がしてくる。親が変わり者では、子供が苦労する、何事も人並みでという具合になる。愚かなことだ。

 その究極が、今日の一族花火大会。

 

〇幼い孫連れであるので、帰路は早立ち道が空いている内に、背中に打ち上げの音が響いてきて、振り返り振り返りして帰った。