薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

便秘・自己矛盾・朝の雷・お盆帰省・颱風

8月8日 曇りといえど真っ青な夏空あり。時折、台風の影響か、俄か雨が通る。雷鳴も。気温35.1度。立秋

 

〇天気も落ち着かないが、自分もこのところの便通不調が気になって仕方ない。

 年寄りが病院通いするのを、ちょっとしたことで行きすぎている、過剰であるという陰口に似た批判が根強くあるが、それも仕方ないかもしれない。

 老人の病院通いは、もしかするとある種の依存的な心理の顕れかも知れない。承認欲求と云うのは、年齢に関係なく誰にでもある。うまく満たされていれば云うことないしかし、老人と云うのは往々にして阻害されるか孤立していると、本音のところでは感じているのでないかと、自分は思っている。大抵の人は何かにまぎれなんとか過ごしているが、どうしてもごまかしきれない人がいる。自分を一個の人として対面してくれるのは、お医者さんしかおりません、そう感じていても不思議ではない。その証拠に、自分が稀に受診するDoctorは、皆さん愛想よく親切であった。こちらの方が不愛想で失礼したと反省したりした。老人相手の営業であれば、当たり前の心遣いだと思った。

 自分と云えば、医者のお世話になるのは、これまでは一年間に一度、二度である。お元気なのですねと云われると、実はあちこちに怪しい自覚症状があらわれては消えているので、素直に喜べない。定期健康診断も退職以後一度もしていない。そういうと、大抵は呆れられる。

 話をもとに戻そう、便秘の件である。便秘は憂鬱だ。頭の半分は、この気がかりで占められている。それでも、これまでの経験から「時至らば、必ずや自ずと排せつ起きん」と思って薬なんぞも飲まない。飯も普通に食う。

こういう、矛盾する自分に飽き飽きしている「自分」もいるが、致しかたない、医者にかかるのが嫌いなのだから。

 

今朝の秋水道水のまな温し  泡六

 

 

 

 

8月9日 朝方から激しい雷、午後昼間は雨、夜のなって晴れ。最高気温29.9度久しぶりに30度を切る。それでも、夜間エアコンなしでは寝られない。

 

〇未明、雷。この頃では珍しい。

 

〇そんな天気であったので、足利市美術館へ行くのを取りやめ。

 

雷鳴るやもし銅鑼なれば愉快なる

 

 

8月10日 晴、最高気温35.0度。

 

〇娘夫婦が、やって来た。深夜の11時過ぎ到着。

 台風の接近とお盆の交通渋滞を避けるために、そんな時間の到着。連れ合いは在宅勤務であるが、娘は通常の勤務、仕事終わりに、車でやって来た。孫二人は、ねむりこけていて、挨拶もそこそに、すぐさま4人家族は寝てしまった。

〇颱風7号がやって来るとの予報。

 

颱風来明日か明後日明明後日