薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

海の日・西瓜の日焼け・茣蓙

7月17日 朝から炎天。

 〇今日は「海の日」であるそうな。埼玉生まれの自分は、実を云うと海水浴というものを身を入れてしたことがない。基本的に「海」に恐怖を感じている。こどもを連れて世間並みの親面をしたくて海に連れて行ったが、波打ち際で波が寄せて来るのが心理的な圧になって、落ち着かなかった。そういうわけで、子供たちは、山歩きの記憶ばかりのはずである。

 この辺りは、海水浴に出かけるというと、新潟へ出るのが一般的であるらしい。子供頃、全く海をしらなかったわけでない。敗戦によって東京の職場を失って、知人頼りにこの地に移ってきた両親は、いつまでも暮らしに昔の名残があって、海を見せに子供を連れ出すのは、鎌倉ときまっていたのだった。子供頃、そのことが不満だった。

青田風越後の海は遙かなり  泡六 

 〇畑に朝採りに出たが、汗が止まらない。朝日が当たれば、もう夏の日である。作物は、夏野菜が旬、食べきれないので、もったいないがりの拙妻があちらこちらへと。

世話女房なれど頼まぬ胡瓜揉み

夏野菜朝な夕なにお裾分け

ぼけなすは確かに我か茄子の花

朝採りややがてたちまち炎天下

 

7月18日  今朝も忌々しい暑さ、猛晴。

 〇昨朝は気づなかったが、西瓜が日焼けしていた。それも一つや二つではない。よくよく調べてみると、蔓が枯れていてもはや実に水分が届いていなかったのだ。陽が当たる部分が茶色に変色して、いわば、やけどである。西瓜は妻の好物であり、孫にも毎年送っていて、近所の友達一緒に西瓜割を去年はしていた。お盆には供え物であるし、 ちょっと状況を見てから、己の不注意を後悔した。でもどうにもならない。今日は、熊谷は39度の予報、暑いだけの能無しクマガイと、つい愚痴ってしまったが、それは、独り言である。

 


 それでも、食べられないことないのだと、拙妻はいうのだった。確かに皮一枚の厚さで西瓜は守られていて、笹と食べてしまえば食するのも可能のようだ。もったいない婆さんには、畏れ入るのだ。

 実際は、こんな風、ちゃんと食べることができた。何事も、外見のみで判断するのは、愚かなことであった。

 

 

 〇誕生日がきて、新しい健康保険証が届いた。例のものには紐づけする気はさらさない。

 〇10年前の7月のメモ書きから見つけた。その頃は、まだこんな風に一息つけたようだ。

鍬を置き茣蓙一枚の木陰あり