薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

じゃがいもを掘った

 

 数日前、じゃがいもを収穫した。

 昨日が梅雨入りであったから、それ以前に掘り出すことだ出来た。

 今年は、植え付けが遅かったせいもあるのか、やや小ぶりである。

 それはそれでよい、夜店のジャガバタのような大きさは、普段の調理には使い勝手がよくないような気もするからだ。実を云うと我が家の食事製作担当の自分は、大量に採れたじゃがいもではあるが、あまり調理方法を知らない。とっさに浮かぶのは、カレーの具、みそ汁の具、ポテトサラダ、スープ、肉じゃが、そんなところだ。ポテトフライやガレットもやってみれば簡単かも知らないが作ったことがない。煮っころがしと云う手もあるが、芋の煮っころがしというのは、なんとなく手が出ない。煮っころがしという呼び名に、抵抗があるのだ、馬鹿げたことだが。

 そういうわけで、毎年食べきれずに納屋の暗がりで、ついには芽が生え、年を越すとその芽がひょろひょろ伸び始めて、やがて廃棄となる。それがわかっているなら、作付けを手控えればよいといわれそうだが、そうはできない。

 理由は、いつ勃発するかわからない食糧危機に備えておくためだ。何を馬鹿なと云われそうであるが、自分は食糧危機の到来を常日頃から恐れている。

 こんどのロシアのウクライナ侵攻で、ウクライナからの小麦の世界市場への供給がストップして、毎朝食べる食パンの価格上昇を招いている。それに、この頃の異常気象からいつ稲作の大凶作となるやもしれない。そのために、じゃがいもは主要な備蓄食料でもあるからだ。

 自分が僅かながら畑仕事を始めたのは、いざ何らかの不穏なことがおきて、食料の調達ができなくなった時の、サバイバルする一つの手立てとして、栽培のノウハウを習得しておきたいという目論見があった、まあ、人には笑われそうな動機なのだが。

 それにしても、新じゃがはよいものだ。早速、小粒なものを蒸かして、バターと塩で食べた。老人夫婦の三時のおやつとなった。

 

 

新じゃがの蒸けるまではの昼寝かな  泡六