薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

西瓜・ゴーヤ

7月22日 午前は曇り、正午過ぎより晴れ間が見える。やや、過ごしやすい気温であった。

 

 〇今日は、当地の祇園祭の最終日である。妻は趣味のサークル仲間となにやらのイベントで出かけた。

 自分と云えば、毎年この祭りの時期には気分がどことなく高揚するようで、そわそわするのだが、今年はまったく気持ちが弾まない。先の気鬱がまだくすぶっていて、ものごとを楽しめないのだ。そういう時は一人でそっと自分を労わればいいので、不在の妻はかえって好都合と、ぼんやりと映画配信サイトを覗きながら過ごしたのだった。

 ○畑へ出ると、西瓜はもう本格的にダメになっていて、わずかばかり葉が青い周辺の実を回収した。これで、今年の西瓜はおしまいである。例年は、お盆過ぎまで収穫したから、明らかに不作であった。原因は、今のところ考えられない。

荷台にて割れたる西瓜愛おしき

 

 

 ちっちゃな奴であったが、食べた。

 

7月23日 快晴、終日エアコンで暮らす。

 

 〇息子夫婦が、暑中見舞いに来た。孫二人。ちびの方が胃腸炎で3日入院したのだが、親の付き添いのできない病院で、泣き虫がよく我慢して頑張ったとほめそやす、どことなくしっかりしてきたような目でみてしまう、爺馬鹿だ。上は無事に一年生の一学期を乗り切った、これも褒める。二人で楽しめるゲームソフトをプレゼント。夕刻、焼肉屋へ、店のコンセプトが変わったらしい、ファミリー向けとは言えなくなった、ちょっと残念だが、こんなご時世である、仕方ない。

 それでも、孫の来襲のおかげであろうか、気鬱の虫がどこかへ消えたような気がする。

 〇西瓜は終いだが、ゴーヤの収穫が始まった。南国の作物らしく熊谷の暑さに適しているのか、沢山採れる。

 

 

 

 胡瓜に並べて栽培している、胡瓜に較べれば格段に手間のかからない作物である。種を蒔いて、ネット張っておけば、勝手に大きくなり葉を繁られせて花が咲き実をつける。野菜の優等生である。胡瓜を食べにやってくるウリハムシまでゴーヤには取り憑かない、恐るべき野菜である。この辺りでは、わざわざ畑に植えるものなどいないので、案外貰っていただく人には困らない。この頃になって人気である。

 もう一つ、畑に植えるのは、いわゆる緑のカーテンというあれを畑の一隅に作っておくと、一休みのちょうどよいからだ。

 

苦瓜の葉陰やすけし水を飲む