薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

西瓜・老老介護

8月3日 快晴。最高気温38.2°最低気温25.3°。言葉がない。

 

〇西瓜をいただいた。日ごろ、菜園で出来過ぎた作物を差し上げている方からである。

出来過ぎて、始末に困るものを食べていただいているのだから、そういうことは困りますと拙妻は恐縮しながら、思わず嬉しそうな声になっていた、西瓜は妻の大好物、人は正直なものだ。先にも書いたが、今年は菜園に作っていた小玉西瓜は、早々と全滅した。例年にはなかったことだ。であるから、妻はホクホクであっても仕方ないのだ。

 この西瓜、新潟の産地から届いたものだそうだが、日ごろ小玉西瓜ばかり食べていた我らにとっては、見慣れない巨大さであった。これは、残念ながらこれは食べきれないと思ってみていると、「半分は誰かにお裾分けしよう」と、妻が言い出した。「おや、西瓜好きの独り占め、ないのか」と冷やかしてみようかと思ったが、口は災いのもとである、自制した。

美味しい西瓜であった。ありがたいことだ。

 

 

〇ところで、その2分の1の行方だが、そう遠くないところに棲む兄に進呈した。義姉が体調を崩して永い、ほぼ老老介護の様相を呈している。ちょくちょく訪ねてはいるので様子は知れている、兄はよくやっている。やり過ぎかとさへ。デイケアに義姉は通所しているので不在、久しぶりに話し込んだ。兄は今の自分の境遇を受け入れている。愚痴はでるが、抑制的だ。大したものだと思いつつ、明日は我が身であるなあと身につまされた。

それにしてもこの国の介護制度は、安心できないものだと、しみじみ思った。

 

 

やれうれし歯は無き爺に西瓜かな  泡六

 

老老は酷暑の夏も二人なり