薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

送り盆・足利市立美術館「顕神の夢 霊性の表現者 超越的なもののおとづれ」・ラーメン一杯800円

8月16日 曇り。

 

〇送り盆。空模様が気がかりで、夕暮れ前に。

 我が家は真言宗のお寺さんに墓があるので、お盆は、世間並みの行事である。祖先を家に迎える、塔婆を頂く。そんなことだ。
 普段も大抵の日々一日一度は位牌に手を合わせ、水と食物お供えする。花を絶やすこともないよう心がけている。祖先と云っても、40年前我ら夫婦が幼くして亡くした子である。リビングの常に目のゆくところに小さな仏壇を置いている。
 その子の霊が年に一度帰ってくると云われている。本来の仏教思想からみればまったく怪しげことだが、長い間そういうことだとされている。お盆前には、塔婆の注文書がお寺から届けられる。この塔婆はその子への回向である。

 ともあれ、狭い家だから仏壇はいつでも目に入る。亡くなった子は何処いるのか知らないが、われら夫婦には身近な存在?かもしれない。

 だから、習慣に従ってあちらへと送ったが、そんなことはどうでもいいのだ。

 

魂おくり今に手と手をつないでね  泡六

 

8月17日 晴れ。曇り、晴、雷。最高気温36.0度。

 

〇やっぱり、「がつんと蜜柑」、おいしい。


〇お盆が明けた今日、足利市美術館へ出かけた。今日がこの企画展の最終日であったせいか、これまで何度となく訪れた美術館であるがこれほど混んでいたのは、初めてである。展覧会は「顕神の夢 霊性表現者 超越的なもののおとづれ」、スピリチュアル感満載ではないか。

 

 

 お盆明けと同時に会期終了というのも・・・。

 内容はこちらが、窺いやすいだろう。

 

bijutsutecho.com

 

 全国を巡回しており、次は久留米市美術館へ。

 

 足利市立美術館の展示スペースは、こじんまりとしているので、やや密集気味の展示になっている。展示作品は、幅広く充実していてとてもとても興味深し、おもしろかった。

 展覧会であるが、「霊」などというとついつい幽霊の類いを連想して、いや夏場の展覧会ならぴったりだなどというのは勘違いであったと、会場に一歩足を踏み入れるとすぐに気づく。ではどういうもんであったかと問われる、小生のおつむではことばに出来ない。「霊性」というのが、自分には分かるようで分からない、感じることが出来そうな気がするが、全くダメな気もする。妻の知り合いに背後霊を見ることができるという人がいるが、そういう人は霊性の尺度の適用が出来る人だろうかなんて、どうでも良いようなことを連想してしまう。

  ともあれ初見の作品がほとんであったが、例えば関根正二の「三星」があってびっくりしたし、これまでも関心を寄せていた作家も多くて、それらの人々について「霊性」とか「超越的なもの」への感応というような視点のあることを教えられた展覧会であった。

 

〇展覧会を見たあと昼食、この美術館近くには意外に食べられる店がないので、いつものようにちょっと歩くのであるが、この町ではよく知られた中華の店にゆく。メニューをみるとラーメンが800円、いつも食べている半チャーハン付きが1100円。この店はおいしいのはよく知っているが、この値段では餃子まで注文できない。ものの値段に関する感覚が、どんどん時代からずれ始めている。

 

足利や汗をしとどに飯店へ

蟻地獄ラーメン一杯800円