薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

だるまと観音

2024年一月六日 土 晴れ、暖か、日中の車中では妻は暑いと言う。

 

能登半島震災、胸が痛む。まっとうなSNSから伝え聞く限り、マスコミは現地の窮状を伝え切れていないように感じる。世論の高まりが国を動かす力になる、役割を果たしてほしい。

 

〇よい天気になった。別にお正月気分に浮かれているわけでないが、というより気分は停滞ぎみであるのだが、すこし車で遠出しようと妻に誘われた。昨年暮れから正月、子や孫が帰って来るのはジジババの楽しみであるが、それでも、あの者達を御接待するのは疲れるのだ。そういうわけで、ようやくほっとして、ドライブしようとなった。

 

群馬県高崎市の小林山達磨寺のだるま市へ。

 



 

 上州では有名なだるま市である。

 

〇此処少林寺は、縁起だるま発祥の地であるそうだ。

 天明三年の浅間山大噴火とその後に続いた飢饉に疲弊しきったこの辺りの農民救済のために、中国禅宗の開祖とされるインド人僧侶菩提達磨をモデルとして、赤色の張り子の人形を縁起物として作ることを、この寺の九代目の住職が土地の人に教えたのだそうだ。それが一月七日の七草大祭の時に、養蚕の守り神として売られた。その後、縁起物の福だるまと変わっていって今日に至ったとか。

 天明の大噴火の痕跡は上州一帯どころか自分の住む利根川中流地域まで及んでいて、非常な災害であった。目下の能登半島地震もそうだが、自然災害が与える苦難というのは、今も昔も筆舌に尽くし難いものだ。だるまと言えば「七転び八起き」というが、元々がそんな意味合いで苦難に立ち向かい克服を祈願する縁起物であったのだろう。

 

 

〇だからといって、自分のことで言えばそういう縁起物を身近に置いたり、身につけたりすることは全くない。理由は、一つ信じられないからだ。

 

〇さて、このお寺、とても眺望がよいのには驚いた。

 ともすれば、この目前の平穏に溺れそうになる。

 能登半島はどの方向かも分からない。

 

 

ひとまずの上州連山だるま市    泡六

 

両目明け達磨仰ぐや白浅間

 

 

 

〇帰路、高崎の白衣観音にもお参りした。

 多分、五十年余り前に、訪れたことがことがある。

 思い出話が半世紀前に及ぶというのは、当の自分でも妙ちくりんな気分がするものだ。

 妻の話では、恋人同士でここに来ると必ず別れることになると、云われていたのだそうだ、「観音様が嫉妬するのかしら」というので、「観音さんは人助けの仏さんだから、そんなことはあるまいよ」と、答えて置いた。

 もしかすると、案外身に覚えのあることなのかも知れないと、つい横目で窺ったしまったが、そこにいたのは古希の人であった、とさ。

 

 

 

 

 

 

さうが