薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

正月三日、二度目の孫連れ初詣。

2024年一月三日 水 曇りのち小雨、やや寒さが身にしみた。

 

能登半島地震についで、羽田の日本航空機炎上、海保航空機と衝突、不穏な年明け。

〇息子夫婦、来訪。

 二人の孫は、男児。先に帰省して帰って行った娘の家は、女児二人。

 年齢もほぼ同じ。

 それぞれの上の方の子は、爺婆に対しても一丁前の口を利くようになった。そして、男の子と女の子では、大分こちらへの接し方が違ってきた。

 そちらが違ってくれば、こちらの対応も変化しなくてはならない。子供は純真無垢だという、たしかにそういう一面もなくはないが、孫と接しているとなかなか油断ならない心理戦を仕掛けてくる。とくに女の子のほうの巧みさが目立つ。年端の行かないちびっ子だと侮る勿れ。

 世に言われてきた男らしさとか女らしさという基準は、疑ってかかるしかないのだが、それでも孫の成長の過程を追えば、昔ながらの「らしさ」の差異を当てははめて見ることができる。つまり自然にそうなってゆくものだと、うっかりすれば思い込んでしまうだろう。

 じつは、そんなことは安易に言えることではないと、孫のそれぞれの家庭の様子を見ていれば分かる。娘も息子も我が子であるが、彼らの子育てへの姿勢はそれぞれにあって、大分異なっている。当然それが孫の成長に一番強力に反映している。

 この爺からして、折に触れて目についた絵本を送ってきたが、その選び方はやはり女の子だから、男の子だからと区別していたようなところがあったし、今だってある。

 ・・・・とりとめない話になってゆくようなので、もう一度頭を整理してから、続きを。

〇二度目の初詣。

 今度は埼玉県熊谷市妻沼の聖天宮。「平家物語」第七巻で『実盛の最期』として語られる斉藤別当実盛が創建したと伝えられている。

 俳句につながるエピソードとしては、芭蕉が「奥の細道」で、小松に逗留した際、多太神社で実盛を悼む句を残している。多太神社には、実盛の甲が奉納されているのだそうだ。

 

 むざんなや甲の下のきりぎりす 芭蕉

 

 境内には、手鏡を持って出陣のあたり老人だと見られて侮られてはならないと白髪を染める実盛像がある。

 脇には、ちゃんと兜が置かれている。肖像の作者はきっとその句を意識されているだろう。お調子者の自分は、何度かその兜の下にきりぎすはいないものかと覗いてみたりしのだった。この「きりぎりす」は、今でいう「こうろぎ」であるから隠れていても不思議ではない。

 

 

 ここの本殿の江戸装飾彫刻は優れたもので、国宝に指定されている。地元では、日光東照宮にも劣らないと言われている。

〇さすがに、三日の夕刻近く、参詣の列は短めであった。

 孫達は、境内の駄菓子屋で婆ちゃんから豪勢に買いものを許されて楽しんだのであった。

 

去年今年霜の下りたる頭かな 泡六