薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

無花果の白い樹液

7月30日 快晴。39.1°(測定地は熊谷市です)

 

無花果、子供のころから食べていた。その頃、大抵の家の庭の片隅や家屋の西日の当たる日陰めいたところに、無花果が植えられていた。特に手入れなどせず、秋には枝を落としても、翌年には枝葉を茂らせて、実を付けた。

その無花果を、畑の隅に植えて、まだ10年も経っていない気がするが、このところ毎年よく実をつける。一時、無花果が健康に良いという評判で、この辺りでも無花果畑があちらこちらに出現し、道端に直販所などもできた。それもこの頃は下火になったのだが、我が家はそのブームに刺激されたのだ。植えたのは、たった一本であるが、これが当たったようだ。

以前にも書いたような記憶があるが、これは朝飯のサラダの具材にしている。評判の健康云々はさておき、独特の甘酸っぱさは嫌味がなくてよいものだ。

 

 

〇さて、画像で確認できるだろうか。先ほど収穫した実であるが、そのもいだ根元の方に白い液体の盛り上がりが見える。樹液である。

ガキの頃、この白い樹液をイボにつけるとイボが取れると云われていて、左の薬指にあった小さなイボにしきりに塗った覚えがあるが、取れたのかどうかは、忘れた。

その樹液であるが、この年なっても枝を落とすに、葉を刈るに、実を採るに、流れでてくる。

その樹液は、自分の目には、ミルクと云うより、人の母乳を連想させて、相手は植物でるのに、切り口に樹液が溢れて来るの見ると、かすかに哀れを感じてしまう。

この白い汁は、手につくとべたべたするし、かぶれるという人もいるが、それでも物悲しいような気がする。そして、その名を無花果と書くのもちょっと憐れな気もする。そういいながら、食べてしまうのであるが。

 

無花果垂乳根のとの枕なき   泡六