薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

俳句

超特急寿司

昨夜から孫連れで息子がやって来て、先ほど夕飯を食べて帰って行った。 ジジババは、二人の孫の悪ふざけに付き合って、楽しんだわけだ。息子は息子で実家で一息つけたというわけである。 あれから12年経って、こんな一日を過ごせたは、なんとも申し訳ない…

「馬鈴薯植う」という季題。

じゃがいもの植え付け、やや遅めか。 じゃがいもの芽は、霜に当たるとよわってしまうので、遅霜を警戒して、桜が開花する頃に、芽が出るように蒔きなさいと言われている、今年はこの陽気で開花が早まるらしい、そんなこんなで、ようやく準備が終わって、明日…

読書の春がやってきたような気がする。

何事にも、「波」というのはありがちで、いつまでも好調とか永遠に不調というのは、ないこともないが、大抵は交互にくるような気がする。そうでなければ、浮世は不公平極まりないものになる。まさしく祇園精舎の鐘の音であって、盛者必滅の理から逃れること…

武蔵丘陵の梅林で。

一昨日は、春麗というにふさわしい一日であった。 昼食を早めに済ませて、通いなれた森林公園へでかけた。 目当ては、今が盛りであるはずの梅林を歩いてみることだった。 梅は、紅梅も白梅も期待通りに咲いていて、花の香りもそよ風にのって揺蕩ごとしという…

ひなまつりであります。

三月三日である。 我が家のお雛様は、もう二十年余り、物置の奥にしまい込まれて日の目を見ていない。毎年、今年は飾ってみようかと、自分か妻かが口にはするのだが、すぐに気持ちが失せて本日を迎える。今年もそうだ。 紅梅も挿せば気持はひなまつり 泡六 …

暖かに迎えた三月

三月になった。 二月は、なんと足早であったことか。 年が改まって、ますます時の流れが速くなる。 如月や子ら横断す手をあげて 泡六 如月は、陰暦二月の和名であるのだが、この時期の季語として扱われる。如月というと、初春の二月とは、語感がちがうという…

なぜに、いまごろ。

「硯石取る」という季語あると、『季語辞典』で見つけた。 「春の干潮を利用して海底から硯石を採取することういう。毛吹草の四季詞の三月三日のところに、『土佐海、塩干に硯石を取る。同』と出ている。」(大後美保編・東京堂出版)とある。 故事類苑のデ…

蕗の蕾は、紫の包をかぶっている。

スーパーの店頭などでは、とっくに蕗の薹は出回っているにだろうが、自分の畑では、蕗の芽が地面から湧いて出てきて、そうは日時が経ってはいない。 春は、まだまだ浅いのである。 そこで、次の句が、下ネタの気配がありますが、そういうつもりは微塵もあり…

オオイヌノフグリ

早春、まず真っ先にこの小さな花が咲く。 畑の片隅から。 薄ら寒い日の光を結晶させるように。 また、ある人は星のようだとも。 眼開けばオオイヌノフグリとお前 泡六

ポタリング日和。

初雲雀ペダルを踏むもやや軽し 泡六 ふとしたことで脚力の衰えを感じることがちょっと続いた。 多少は、その訓練になろうかと、穏やかに温い静かな昼前、自転車で少し走った。 こんなところを、のんびり走った。 風もなく、暖かく、ポタリング日和であった。…

生まれかわるなら、何になりたい。

「ブラッシュアップライフ」(主演安藤サクラ・脚本バカリズム)というテレビドラマを観ている。その題名の意味することは、「人生を磨きあげよ」とか云うのだろうか。このドラマの肝は、転生輪廻の原則は案外融通が利くものだという話だ。 主人公・麻美は、…

それぞれのペースで生きる

梅が香の届かぬ方へ妻の影 泡六 夫婦して外出するするのは、日常のことである。二人して旅にもゆく。 いまさらにいうのもなんだが、不仲というわけでない。 しかし、微妙に世間のご夫婦と異なるのは、ふたりして肩を並べて睦まじそうに歩くというようなこと…

畑で遊ぶ

畑に出た。 春耕のつもりに来しが畑遊び 泡六 雪解けで畑が潤っていることだろうと思って、久しぶりに鍬を担いで畑に出た。 北からの風はあったが、日が差しているので寒さはそこまではない。 大根を収穫した後を、鍬で耕す。ひとしきり鍬を振るうと、やはり…

日陰に残る雪

気圧の変化が体調に影響するということが、どこからか聞こえてきて、さては俺のその口かと、思い至った。 そのメカニズムがどうなっているかなんて知らないが、本日も太平洋側に低気圧が3つほど浮かんでいる天気図が、気象庁のHPに発表されていた。こりゃ、…

遅い初雪。

一夜明けて、快晴。 昨日の雪がはだらの残って、明るい日差しに溶けてゆくようだ。 立春を過ぎての遅い初雪であった。 向かいの家の椿なのか山茶花なのか、枝に積もった雪に映えて美しかった。 昨日の日中、窓から降りしきる雪を見ていたら、思い出した。 ち…

ぼんやりと疑い深く生きている。

トルコ・シリア地震、死者15000人を越えるとの報道。 明日は、関東のこの周辺は積雪の予報。 ゼレンスキー氏「武器がなければ戦闘は行き詰まる」と。 我が家の庭先の梅がようやく咲いた。 俺の居る北半球は冬である 泡六 ようやくに麦五寸ばかりに青みけり

「事始め」の日であったこと。

今日は、「事始め」と日めくりカレンダーにあった。 「事始め」とは、文字通り事の始めと思って、さて今日は畑に出て、ちょっと気が早いがじゃがいもを植える準備でも始めようかと思いついたのであるが、実はこれは早とちりであった。 2月8日は「事始め」で…

畑仕事には良い日よりであった。

今日は、旧暦で云うと1月16日、満月である。 季題の季節感と現実の生活感の間のずれというのは、だれしも感じることであるが、本日は1月の16日であると思えば、納得がいくのである。 先ほどまで自宅の野菜畑ですごしていたのだが、陽気は冬うららという…

恵方巻きか、太巻きか。

かつては、夕暮れ時ともなると、隣近所から「鬼は外、福は内」と、子供たちの張り切った声が聞こえてきた。 しかし、少子高齢化は切実に身近な現象で、住むあたりでは二十歳以下ゼロ歳までの住人は片手で足りるほどだ。それに反して、高齢者は増えるばかりで…

冬の苺は、甘くて薄情だ。

季題の上では、「苺」は夏のものであるが、この頃は冬の果物であるかのような気がする。 そういう思いは、一般的なようで「冬苺」とか「寒苺」とか、そんな季題も自分以前からあるようだ。 「苺」は、配偶者の好物であるし、孫たちも喜んでたべるので、近隣…

二月の森林公園散策

二月である。 暖かい南風に誘われて、森林公園へ。 この時期の見所は、まだ咲き始めの梅林辺りだけだ。 あとは、野鳥のさえずりとともに春の到来を待つ気分で、落葉を踏んで森を歩くだけだ。 寒禽のあくがれいでて藪の外 泡六 蛇足注・「寒禽(かんきん」と…

枯れ葭に隠れて川が流れている。

昨日、今日と、ほぼ同時刻に散歩に出た。 連日、赤城も男体も、浅間も、間近く見えた。 散歩コースのB沼公園を水源とする川が、利根川支流へと流れて行く。 細い川であるが、両岸は葭に蔽われている。 枯れきった葭の繁りに、小さな鴨たちが身を隠し、憩って…

岩波文庫「常山紀談 上中下」1988年4月7日第三刷。

BOOK・OFFに立寄るのは、年に数回程度になった。 昔はよい意味で荒っぽい商いをしていて、これはと目を見張るようなものが、100円で売られいた。 いつのころからか、いかにもリサイクルショップの大規模なチェーンらしく体裁が整えられて、つまらなくなっ…

大根おろしがうまい。

めでたさは常の大根の白さかな 泡六 この句では、大根は、「だいこ」と読んでほしい。 家庭菜園の作物のスターは、夏は胡瓜に茄子、冬は大根と白菜ではないかと、思う。 どれも、色合いのきれいな野菜であるし、また、それぞれがおいしい漬物になる。 この他…

上手く年をとることは、本当に難しい。

煩脳に首を獲られて寒椿 泡六 それでも、救いの手をさしのべてくださるか。

ちゃんちゃんこを着て、一日が過ぎてゆく。

依然として、風が強い。 昨日の夕方、庭先に捨てたバケツ一杯の水が、小さな水たまりとなったようで、氷ついた。 それが、午後の今頃なっても解けていない。 風花や晴てはあれど吹きだまり 泡六 風花や隣り留守なり干しものは

午後に入ると北西の風が強くなって、気温も下がってきた。

昼過ぎまで、青空が見えて、良い天気。 ところが、3時を回ると風が強く吹き出した。 妻は大急ぎで洗濯物を取り込んでいた。 気温も下がってきて、近頃の天気予報はたしたのだ、ほぼ正確に変化している。 これなら、風花も運ばて来そうだし、雪もきっとちらつ…

肉屋の総菜、揚げ物が好きだ。

最寄りの駅近くにある肉屋 の総菜のコロッケやアジフライが好きだ。 それをきちんと暖簾が下がっているとんかつ屋のものに比べるのは、愚だ。 初めから依って立つ場がちがう、同等に比較するのは、むしろとんかつ屋存立の危惧を小生なんぞは感じる。総菜とん…

久しぶりの畑で。

炬燵からはいだして、畑の様子を覗きに出た。 五〇坪ほどの家庭茶園である。 今は、大根・菠薐草・小松菜・白菜そんなものが収穫できる。 老人二人が食べる糧としては、多すぎるのでご近所さんと配偶者の交友関係者に消化して頂く。 この時期は、とりたてて…

髭と爪だけは、変わりなくよく伸びる。

自分が、経年劣化している、これを押しとどめることはできない。 心身の内の「身」の方が老化するのは、もしかすると適切な健康管理と運動などで、劣化の進行を抑制することができるかも知れない。(あくまで可能性の話で、定期健康診断さえ面倒臭がって、こ…