薺句帖

余生の洩らし言、「薺」とは、「なずな」あのペンペングサであります。誤字脱字の常習ゆえ、気になさる方にはお勧めできません。

目薬を注すのが、どことなく怖いような

先週から風邪をひいたか、体調がよくなかった。咳と微熱がつづいていたのだが、なにやらしきりに目が痒い。誰かから風邪の症状で目をやられることあると聞いていたが、本当のようだと思った。痒さだけでなく、下の瞼に裏側、眼鏡側だが、熱く腫れぼったい、…

世の中はちろりに過る ちろりちろり   閑吟集49

今朝六時誕生月に目覚めけり 泡六 しばらく、休んだので、再開いたします。

麦の熟れる頃

夫婦ともに70歳を迎えることができた。連れ添って40年を過ぎている。子供たちが先の日曜日、妻の古希の祝いをしてくれた。四国の旅は吾ら夫婦のイベントであったが、孫たちと家族全員が笑顔で集えたのはうれしいことであった。 そうして、また二人暮らし…

初夏の森を歩いた。

昨日今日と、夏の陽気だ。 今日は、菜園作業で汗をたっぷり流した、途中頭がくらくらすような感じがして、少し慌てた。 昨日は、風があってすぶんと過ごしやすかったので、初夏の森を歩きたくなって、半月ぶりに深林公園へでかけた。 新緑といえる時期は過ぎ…

四国へ行ってみた。

数年前に、自分が古希を迎えるのでというわけでもなったが、美濃と飛騨の円空仏を観に出かけた。 今度は、連れ合いの片割れである古女房のそれで四国に行ってみたのだった。この年になると、急な状況の変化に対しての即応力が衰えて来るので、何事によらず冒…

どうやら、妻から風邪が感染したようだ。 数日前から彼女は喉の痛み、痰、咳、倦怠感、微熱といった症状があって、市販の薬を飲んでいる。 そうして、昨日から自分にも咳、喉、だるさといった症状が出てきたように思う。 勿論、風邪だと云っているが、コロナ…

ナンジャモンジャの花

四月が終わる。 それがどうと云うことは無いのだが。 公園で、ナンジャモンジャの木に出会った。 ナンジャモンジャとは、正体不明の樹木であることを、そのままに命名した。名は体を表すというが、その言葉はこの木の場合にも通じるのか、通じないのか、ちら…

夏野菜を作る季節となった。

四月の下旬に入った。 夏野菜を作る準備にようやく腰をあげた。 今朝も畑に出た。 広さは、家庭菜園にしては贅沢と云えるほどの面積で、ちょと手間を要する。 夏野菜は、茄子胡瓜トマト西瓜万願寺鷹の爪ししとうオクラ南瓜レタス隠元ネギゴーヤ、これらが例…

森を歩く

ひと月ぶりに森林公園をあるいた。 昨日のことだ。 気温は、初夏のようで上着は必要なかった。 森の様相は一変していて、新緑さへやや濃さを増していた。 この一か月で梅が散り、桜は終いとなっていたのだった。 沼の脇の山藤の房。 藤の香は彼の夜の人の名…

床屋さんのおばちゃん

ここに転居して、30年以上が経った。 その間、行きつけにしていた床屋さんが開店休業中である、再開の予定はいまのところないのだ。 初期の頃は、当主のおじさんが調髪担当で、おかみさんはシャンプーと髭をあたる担当という分業体制であったが、いつの頃か…

時間がすべてを解決してくれるという人もいた。

リタイヤして以来、「年度」という時間尺が意識されなくなった。だから今日で年度終りと思い起こしても、何の感想も浮かんでこない。 それは、ここでも何度か云っているかも知れないが、まさしく光陰は矢の如くであって、その矢のスピードか、年を追って加速…

桜だらけの風景

一滴の血も流さずに桜哉 泡六 希望は幸福な人にだけ花曇り 燃えるゴミ燃えないゴミも花明かり あなたまだそこでまってて夢見草 火の見より昼のサイレン花盛り 毎年、さくらさくらで、この頃は明け暮れている、そんなこの国はまったくへんてこな。

もしも桜のなかりせば、とか。

我が家の庭先に、正体不明の桜が咲く。ソメイヨシノには数日おくれて開花するのが常で、それに花びらは八重である。 この木は、妻が知人から頂いたもので、鉢植えであったが管理する方がいなくなったとかで。それを庭先に鉢から下ろしたのは、二〇年ほど前で…

ご近所の花を巡る

昨日は、日本中が侍ジャパンの応援団になってしまった。普段はプロ野球にも高校野球にさほどの興味関心を寄せてはいないが、それでも無関心ではいられない。結果はドラマチックに米国チームから勝利をおさめ、今朝になっても勝利の美酒の二日酔い状態である…

老いぼれ男子、厨房に立つ、悦ばしからずや。

リタイヤ生活に入るにあたって、妻との間に家事分担の話し合いがあった。結果は、三度の食事の調理にかぎり、夫である自分の役割ということで、決着した。 もともと、長年独身生活を送った経験があるので、炊事をすることに抵抗はなかったというのは、嘘だ、…

比企の森を歩く。

昨日は、ぽかぽか陽気に誘われて、武蔵丘陵森林公園を散歩した。 今月二度目、月初めは梅林を巡ったのだった。 あれから、10日余り経ったのだが、いよいよ春は足元にも樹上にもやってきていた。 さびかへる比企の沼辺のあまな哉 泡六 この国営森林公園は、比…

超特急寿司

昨夜から孫連れで息子がやって来て、先ほど夕飯を食べて帰って行った。 ジジババは、二人の孫の悪ふざけに付き合って、楽しんだわけだ。息子は息子で実家で一息つけたというわけである。 あれから12年経って、こんな一日を過ごせたは、なんとも申し訳ない…

「馬鈴薯植う」という季題。

じゃがいもの植え付け、やや遅めか。 じゃがいもの芽は、霜に当たるとよわってしまうので、遅霜を警戒して、桜が開花する頃に、芽が出るように蒔きなさいと言われている、今年はこの陽気で開花が早まるらしい、そんなこんなで、ようやく準備が終わって、明日…

読書の春がやってきたような気がする。

何事にも、「波」というのはありがちで、いつまでも好調とか永遠に不調というのは、ないこともないが、大抵は交互にくるような気がする。そうでなければ、浮世は不公平極まりないものになる。まさしく祇園精舎の鐘の音であって、盛者必滅の理から逃れること…

武蔵丘陵の梅林で。

一昨日は、春麗というにふさわしい一日であった。 昼食を早めに済ませて、通いなれた森林公園へでかけた。 目当ては、今が盛りであるはずの梅林を歩いてみることだった。 梅は、紅梅も白梅も期待通りに咲いていて、花の香りもそよ風にのって揺蕩ごとしという…

ひなまつりであります。

三月三日である。 我が家のお雛様は、もう二十年余り、物置の奥にしまい込まれて日の目を見ていない。毎年、今年は飾ってみようかと、自分か妻かが口にはするのだが、すぐに気持ちが失せて本日を迎える。今年もそうだ。 紅梅も挿せば気持はひなまつり 泡六 …

暖かに迎えた三月

三月になった。 二月は、なんと足早であったことか。 年が改まって、ますます時の流れが速くなる。 如月や子ら横断す手をあげて 泡六 如月は、陰暦二月の和名であるのだが、この時期の季語として扱われる。如月というと、初春の二月とは、語感がちがうという…

なぜに、いまごろ。

「硯石取る」という季語あると、『季語辞典』で見つけた。 「春の干潮を利用して海底から硯石を採取することういう。毛吹草の四季詞の三月三日のところに、『土佐海、塩干に硯石を取る。同』と出ている。」(大後美保編・東京堂出版)とある。 故事類苑のデ…

蕗の蕾は、紫の包をかぶっている。

スーパーの店頭などでは、とっくに蕗の薹は出回っているにだろうが、自分の畑では、蕗の芽が地面から湧いて出てきて、そうは日時が経ってはいない。 春は、まだまだ浅いのである。 そこで、次の句が、下ネタの気配がありますが、そういうつもりは微塵もあり…

オオイヌノフグリ

早春、まず真っ先にこの小さな花が咲く。 畑の片隅から。 薄ら寒い日の光を結晶させるように。 また、ある人は星のようだとも。 眼開けばオオイヌノフグリとお前 泡六

ポタリング日和。

初雲雀ペダルを踏むもやや軽し 泡六 ふとしたことで脚力の衰えを感じることがちょっと続いた。 多少は、その訓練になろうかと、穏やかに温い静かな昼前、自転車で少し走った。 こんなところを、のんびり走った。 風もなく、暖かく、ポタリング日和であった。…

生まれかわるなら、何になりたい。

「ブラッシュアップライフ」(主演安藤サクラ・脚本バカリズム)というテレビドラマを観ている。その題名の意味することは、「人生を磨きあげよ」とか云うのだろうか。このドラマの肝は、転生輪廻の原則は案外融通が利くものだという話だ。 主人公・麻美は、…

それぞれのペースで生きる

梅が香の届かぬ方へ妻の影 泡六 夫婦して外出するするのは、日常のことである。二人して旅にもゆく。 いまさらにいうのもなんだが、不仲というわけでない。 しかし、微妙に世間のご夫婦と異なるのは、ふたりして肩を並べて睦まじそうに歩くというようなこと…

畑で遊ぶ

畑に出た。 春耕のつもりに来しが畑遊び 泡六 雪解けで畑が潤っていることだろうと思って、久しぶりに鍬を担いで畑に出た。 北からの風はあったが、日が差しているので寒さはそこまではない。 大根を収穫した後を、鍬で耕す。ひとしきり鍬を振るうと、やはり…

日陰に残る雪

気圧の変化が体調に影響するということが、どこからか聞こえてきて、さては俺のその口かと、思い至った。 そのメカニズムがどうなっているかなんて知らないが、本日も太平洋側に低気圧が3つほど浮かんでいる天気図が、気象庁のHPに発表されていた。こりゃ、…